Resource curse: Can Yasuni ITT Initiative learn a lesson from Ashio copper mines experience?
資源の呪い:足尾銅山とヤスニ
If you are interested in Ashio Copper Mine, check these websites:
The Ashio Copper mine pollution case: The origins of environmental destruction
And those of who are interested in this subject, I recommend to read recent NI issues of "Nature's defenders", "Humans vs nature" and "Bloody oil".
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以前このブログでもお知らせした講演会「アマゾンを石油に沈めないために ― エクアドル・ヤスニITTの挑戦とグローバル市民社会の責任」の報告が、ヤスニブログにアップされました。
このサイトの文章での報告は、在日エクアドル大使館ゲストの講演と、コメンテーターである神奈川大学の新木先生と上智大学の高島先生のコメントについて大まかなところを書いたものです。講演会の全内容については、ブログ内に音声ファイル(mp3フォーマット)へのリンクが張ってありますので、そこからダウンロードして聞くことができます。
この日私は講演者が話す前に、イントロダクションとして10分ほど講演会の趣旨説明と問題提起を行いました。
この講演会の趣旨とは、このヤスニITTイニシアティブのことを知ってもらい、広範囲に前向きな影響をもたらす可能性を秘めた取り組みを応援して欲しいということです。
このイニシアティブアは、石油を採掘しないことでエクアドルのアマゾンにあるヤスニ国立公園(約98万ヘクタール)の20%を保護し、その自然と熱帯雨林が守られます。そして、自然の恵みに依存して生きる先住民族の生活が破壊されずにすみます。石油が採掘されずに使われないため、その分の二酸化炭素は排出されず、地球温暖化の緩和にも役立ちます。このイニシアティブのために国際社会(個人から国家まで)が出資・寄付するお金はヤスニITT信託基金として管理されますが、この資金はエクアドル政府拠出分の資金と合わせてエクアドル国内の再生可能エネルギープロジェクトに使われます。つまり、このイニシアティブはエクアドルにとって持続可能な社会の入口となります。もしこの仕組みが開発援助と国際的な基金管理のモデルプロジェクトになれば、それがエクアドル国内の他の地域や他のラテンアメリカ諸国、ひいては世界各国にも広がっていく可能性があります。楽観的な考え方かもしれませんが、そのくらいの可能性は秘めていると思いますし、影響が広範囲であることは明らかです。
問題意識ですが、このイニシアティブのどこに重点を置くかによって変わってきます。今回私からは、資源開発の問題、長期的な視点を持つ重要性、選択肢の提供というポイントから話をしました。当日は時間がなかったため、ここに補足しながらポイントについて説明したいと思います。
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資源開発の問題とは、この講演会の副題にもあるように、グローバルな社会における市民の責任、負担の公平性の問題です。資源がある場所は、世界中どこでもこの問いの対象になります。石油、ガス、鉱物、木材など、海外から輸入される資源なしには私たちの現在の生活は成り立ちません。しかし普段私たちは、資源がどこからやってくるのかを意識することもなく生活しています。また、その採掘される場所で何が行われているのかも私たちはほとんど知りません。しかし遠く離れたその地では、たまたま資源のある場所に住んでいたというだけで災いに襲われる人々がいます。彼らは有無を言わさず、十分な説明も配慮も恩恵も受けられず、納得いく選択肢も示されず、国策という名の下で強引に推し進められる開発の犠牲になってきました。それは、今までの平穏な暮らしを奪い、自然、コミュニティー、人々の歴史までをもずたずたにしてきました。私たちの社会とそれを形作る消費行動によって資源が価値を持ち、採掘場所付近に住む人々に影響を及ぼしているのであれば、それは私たちとは無関係なこととは言えなくなります。
さらに今日では、地球温暖化の問題もあります。これまで先進工業国は、その産業活動によって、そして化石燃料に依存した暮らしによって、二酸化炭素など大量の温室効果ガスを排出してきました。私たち先進国の人間は、これまでその近代的な産業とライフスタイルを享受しながら発展してきました。しかしそのおかげで地球温暖化が進み、気候変動を引き起こし、その影響は世界中の国々に及んでいます。先進国が被害を受けるのであれば、自業自得と言えるかもしれません。しかし、そんな先進国の発展を天然資源の提供という形で支えてきた開発途上国は、自らは微々たる二酸化炭素しか排出していないにもかかわらず、気候変動によって大きな影響を受けています。しかも、先進国は経済的にも社会的にも気候変動の影響を緩和する方策を実施する余裕がありますが、開発途上国はいまだに「発展」から取り残され、先進国の協力がなければそんな余裕もありません。これがクライメートジャスティス(気候の公平性)または気候的正義ということです。詳しくは、NI日本版「クライメート・ジャスティス─公平な温暖化対策」、FoEジャパンのオンダンカクサ(温暖化+格差)、クライメットJなどをご覧ください。
長期的な視野を持つということですが、実はヤスニITTの石油は、約15年しか採掘できません。その15年のために、アマゾンの貴重な自然を破壊してしまってもいいのだろうかということです。熱帯雨林は多様な生物種のバランスの上に成り立った生態系です。一度破壊されてしまった環境を元通りに回復することは困難です。石油の探査と採掘活動では、石油の漏出による土壌と水の汚染は免れません。汚染された環境に暮らす動植物への影響は必至で、それを摂取し、汚染された水を飲まざるを得ない先住民の健康被害もまた必ず起こります。それは想像ではなく、すでにエクアドル内外のアマゾンやナイジェリアなど他の場所でも起こっている問題です。エクアドル石油公社の内部資料によれば、もしもヤスニITTで採掘が行われると、少なくとも土壌と水資源の8.4%が汚染され、動植物の84.7%が影響を受け、取り返しのつかない打撃となるそうです。石油がどのような事態を招くのかを知るには、国連大学が運営するサイトOur World 2.0の記事「熱帯雨林にテキサコが残す石油汚染の痕跡」、昨年公開された映画『クルード~アマゾンの原油流出パニック~』、アムネスティ日本の「ナイジャーデルタ:石油採掘がもたらす環境破壊と暴力」などが参考になります。
このアマゾンの環境破壊の影響をより身近な事例から考えるため、講演会では足尾銅山を例に挙げました。日本人が必ず学校で習う公害の原点と言われる足尾銅山は、約400年前に発見され、江戸時代は細々と採掘されていました。しかし明治初期の1880年代に新鉱脈が発見され、明治政府の富国強兵、殖産興業、近代化という国策の中で、銅の生産量は増えていきました。特に重要だったのは、電線と砲弾・銃弾の生産です。また、外貨獲得のために輸出も行われていました。今では考えられませんが、当時日本は米国やチリに次ぐ世界有数の産銅国だったのです。足尾銅山での採掘は1973年まで続いて閉山しましたが、その後は輸入銅鉱石を使って1989年まで製錬が行われていました。
その結果がこのような荒廃したはげ山です。画像をクリックして動画をご覧ください。
この主な原因は、製錬所から出る煙です。排煙に高濃度の亜硫酸ガスが含まれていたため、森林はダメージを受け枯れてしまいました。そして空気中の亜硫酸は雨に混ざって降り注ぎ、土壌の酸性化も進み、植物の生育には適さなくなってしまったのです。もちろん地元の農業や養蚕も打撃を受けました。このような亜硫酸が含まれた排煙の垂れ流しは、1956年に新しい製錬技術が導入されるまで続きました。また、精錬の燃料や銅山の坑木などを得るために森林伐採が行われていたこと、そして大規模な山火事が起こったことが荒廃を深刻化させました。樹木がなくなったことにより、急峻な山の表土は簡単に雨で流されてしまうようになり、岩肌が露出して現在のような姿になってしまったのです。
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排煙から亜硫酸が除去されるようになってから50年以上にわたり、国土交通省(当時の建設省)、林野庁、栃木県、そして途中からはNGO足尾に緑を育てる会も植林をしていますが、岩肌が露出した急斜面で土壌が酸性化しているという悪条件で、なかなか植物を定着させて育てることができず苦労してきました。昨年取材した時に栃木県の担当者から地元のNGOのスタッフまで口をそろえて言っていたのは、元の森の姿に戻るには100年、200年かかるかもしれない、というこの地域が直面する気の遠くなるような状況でした。興味のある方は、「足尾の森の破壊と回復から考える」(NI日本版「自然対人間」に収録)をお読みください。
足尾の人々にとって、銅は雇用を生み出し、(さまざまな住環境の悪化、劣悪な労働環境があったにせよ)短期的には生活を豊かにしてくれるものでした(この点は少しヤスニの場合とは異なり、むしろ日本の原発立地自治体と似た意識と構造がありますが、それについてはまた別の機会に書いてみたいと思います)。もちろんそこには、田中正造の直訴でも知られているように、足尾の下流の渡良瀬川流域の人々のように、何の恩恵もなく鉱毒被害に遭った人々もいました。一方で、足尾銅山所有者の古河鉱業(1989年に古河機械金属に社名変更)、そして日本の国にとって、銅はカネのなる木でした。
一方ヤスニITT周辺に住む先住民にとって、石油は生活を豊かにしてくれるものではなく、地域に繁栄をもたらしてくれるものでもありません。それは、資源開発の問題のところで書いた通りです。もちろん、石油関連の仕事に就くことができる人が一部はいるでしょうし、現金収入を得て森の恵みで暮らすという決して豊かとは言えない暮らしからの脱却を夢見る人々もいるでしょう。しかし恩恵は足尾の場合と違って、大半のコミュニティーに行きわたるものではありません。それに、石油が与えてくれる仕事や夢は15年しかもたず、その後に残るのは足尾と同じような荒廃した古里なのです。
とはいえ石油会社やエクアドルの国にしてみれば、石油はもちろんカネのなる木です。しかし今回エクアドル政府はヤスニITTイニシアティブ実施にあたって、輸出における石油依存度を下げるという方向まで打ち出してきています。
これまでは、石油が見つかれば当たり前のように掘って、その地域の環境と暮らしが破壊されてきました。しかしヤスニITTイニシアティブは、石油を掘らずに生活するという選択肢です。そしてその選択肢を現実に提供できるのかどうかという一端を、私たち日本人を含めた国際社会が握っているのです。
足尾は日本人にとって、国の発展のために一部が犠牲になり、その影響が残っているという一例ですが、私たちはそんな経験者としても、掘らない選択肢実現に向けた応援をすべきではないかと感じます。
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